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歴史を知る

竣工披露宴で三木武夫首相と握手する白石古京社長
(1976年9月1日)

プレスセンタービルの建設は、戦後報道界の永年の悲願でした。戦後しばらくの間、わが国には来日する諸外国の賓客や国内の重要人物の記者会見を行う専門の組織も施設もありませんでした。そんな中、海外から多くの公賓の来日が予想される、1970年の大阪万国博覧会の開幕を前に「日本にも欧米のようなナショナル・プレスクラブを作ろう」という声が報道界だけでなく、政府関係者からも一気に高まり、日本新聞協会を中心にそのための準備作業が急ピッチで進められました。
その結果、1969年11月に日本記者クラブが設立され、帝国ホテル内にクラブ室を設け、宴会場を使って記者会見やプレスランチョンを始めました。
引き続き、プレスセンタービル建設のための準備に取り掛かり、1972年12月、建築工事とビル管理・運営を行う株式会社日本プレスセンターが設立されました。資本金6億円。株主は新聞協会加盟社代表の58名。代表取締役社長には白石古京・京都新聞社社長(新聞協会会長)が選任されました。
74年8月、ビル建設に着手。施工は清水建設と竹中工務店の共同企業体(JV)、設計・管理は日建設計が担当しました。その2年後の76年7月31日、地上11階(高さ49.5m)、地下3階のプレスセンタービルが完成しました。ビルの総面積は7,800坪(25,737㎡)、貸付面積は4,804坪(15,855㎡)。
完成と同時に、新聞協会は日比谷公園内の市政会館から、日本記者クラブは帝国ホテルから引っ越してきました。また、2か月後には、外国の記者に日本取材の便宜を図る「フォーリン・プレスセンター」が日本新聞協会と経団連(現在は日本経団連)の共同出資により設立され、入居しました。
完成から50年近く経過し、今日では地方紙や地方テレビ局計13社の東京支社が入居するなど、プレスセンタービルは文字どおり、「プレスの殿堂」として重要な役割を果たしています。