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NHK東京放送会館の跡地に建てられた放送記念碑

NHK東京放送会館の跡地に建てられた放送記念碑

千代田区制作の町名由来板

千代田区制作の町名由来板

プレスセンタービルが建っている千代田区内幸町界隈は、今から400年前の江戸幕府開府の頃は『日比谷入江』と呼ばれた東京湾奥の浅瀬でした。このため、ビル建設の際には、工事関係者から「魔の地盤」と恐れられるほど軟弱な地域で、自然含水比が高く、掘削工事は大変苦労したようです。

江戸時代後半には大名屋敷が建ち並び、江戸城の外堀にあった幸橋御門の内側に位置していたところから、この地名になったと言われています。明治時代には鹿鳴館や東京府庁が置かれました。

新聞社とも縁が深い土地柄で、プレスセンタービルのある場所に明治23年、「都新聞本社」が建てられたのに続き、わが国最古の日刊英字紙『ジャパンタイムズ』も明治30年3月に内幸町で産声を上げました。都新聞は昭和17年に「国民新聞」と合併して「東京新聞」となり、品川に移転する昭和40年まで社屋がありました。

歴史の舞台に登場することも多く、代表的なのは明治34年12月10日の田中正造による天皇直訴事件です。栃木新聞(現下野新聞)の編集長を務め、直前まで衆議院議員だった田中はこの日、足尾鉱毒事件の被害者救済を求めて、現在の経済産業省別館にあった帝国議事堂(貴族院)を馬車で退出された明治天皇の車列に、直訴状を捧げて現東京家庭裁判所の前から飛び出しました。現在の「西幸門前」交差点付近での出来事です。

昭和13年には、現在日比谷シティとなっている場所にNHKが東京放送会館を建設、愛宕山から移転してきました。渋谷放送センターへの移転に伴い、昭和48年に運用を終了するまで35年間、電波を出し続けました。

現在のプレスセンタービル周辺には、国会通りを挟んで真正面に日比谷公園があり、近隣には、富国生命ビル、日比谷国際ビル、日比谷セントラルビルなど高層ビルが建ち並ぶオフィス街となっています。

また、帝国ホテルのある内幸町1丁目1番地周辺は、大規模な再開発計画の対象となっており、地上40階建て以上のビル3棟が2030年度までに建設される予定です。