日本プレスセンタービルは重量感のある、落ち着いた感じの建物ですが、新築当時の新技術や新発想、設計・監理・施工それぞれの立場での苦心・苦労などは、表から見ているだけではなかなか知ることはできません。少しでもこの建物を知っていただくために、昔の資料を掘り起こしながら、新築中の話や竣工後の改修工事の話などを連載していきたいと思います。
[その4:プレスセンタービルのマーク]
「海外では必ずと言っていいほどビルのマークがあります。プレスセンターも作りましょう。」と日建設計からの提案で生まれた日本プレスセンタービルのマーク。皆さんご存じでしょうか。ビルのあちこちに使われていますから、観察眼の鋭い方なら「あれかな?」と、思いつくかもしれません。
「日輪」マークとして商標登録しているビルのマークは、日本をあらわす日輪を吉数七五三の輪に意匠化したもので、直径90mmの円の中に外から7、5、3mmの幅で円をかいたものです。7・5・3は皆さんのご想像通り「七五三」から取っています。デザインされた日建設計の三浦さんによると「子供が無事に成長したことを感謝し将来の幸福と健康をお祈りする七五三と、プレスセンタービルが無事故で竣工し今後プレスセンター、テナント共々が繁栄できるようにとの思いを重ねた。」そうです。
お暇なときにでも、「日輪」マークがどこに使われているか捜してみて下さい。
[その3:耐震性]
プレスセンタービルは地下3階、地上11階・塔屋2階、高さ49.5mの建物です。建物の構造は耐震に配慮して、中央コア部を鉄筋鉄骨コンクリート造り、コアを挟んだ両側は無柱空間を確保するために鉄骨造りとしています。最上階のプレスセンターホールとレストラン・アラスカの部分は、鉄骨アーチ構造で大空間を構成しています。
建物の基礎部分は周辺を連続地中壁、内部を深礎工法の大口径基礎として、強固な東京礫層に支えられています。このように地中深く基礎部分を根入れしている建物は、一般的には地震時入力が小さく安全性が高いとされています。
現行の建築基準法は十勝沖地震(1968年)や宮城沖地震(1978年)の教訓を踏まえて1981年に改正され、「新耐震設計法」と呼ばれているものです。1976年竣工のプレスセンタービルは改正以前の建物ですが、耐震安全性等に対して(財)日本建築センターの高層評価を経て、建築大臣(現国土交通大臣)の特認を受けています。この特認を取得するために、時刻歴応答解析(通称:動的設計法)を行って耐震安全性を検証しています。
プレスセンターの耐震設計目標は400ガルです。1923年の「関東大震災」(M7.9)の東京の地表加速度は300~350ガルと推定されていますので、関東大震災クラスの地震に襲われても建物は倒壊することなく、人命を守るという目標は達成できると考えています。
[その2:ボソン・ホワイト]
「プレスセンターの外壁には白煉瓦を使用しています」と説明すると大抵の皆さんが「エ! 煉瓦ですか ? 」と驚かれます。 計画段階から重厚さを出すためにビルの外装には煉瓦を使用する予定でしたが、赤煉瓦では暗いイメージになるので、色彩をどうするか検討されるなかで国代(くにしろ)耐火工業所の白煉瓦が選ばれました。煉瓦は赤いのが一般的ですが、これは酸化させて焼くからだそうで、プレスセンターが使用している煉瓦は国代耐火が開発した新しい焼き方で、酸化ではなく還元させて焼いているから白色になるのだそうです。
白煉瓦を使用するために、外装材として要求される性能、精度、風合いなどについて、おびただしい試行が日建設計と国代耐火の間で繰り返されました。サイズは普通のレンガよりひとまわり大きく、煉瓦を積み上げたように見えるように、PC板の目地が目立たないように設計されました。エフロの発生防止を考慮して、雨が入らないように瓦が重なり合うような形状設計で目地底も煉瓦の素肌を見せるようになっています。また、落下防止のために煉瓦とPC板をステンレス線で固定しています。さらに、国代耐火はビルの外装に必要なほどの量を焼いたことがなく、このビルのために専門の工場を新たに作りました。新たな素材を開発するためには、いくつもの障害を乗り越える必要があり、それに携わった人達の「協力」「努力」「情熱」・・・がなければ、達成できないことだと思います。

この白煉瓦の名称は、国代耐火の加藤国雄社長がレンガ研究で欧州に行った時に感銘を受けた氷河の名前をとって「ボソン・ホワイト」と名付けたいとの希望を日本プレスセンターが受け入れ、前田雄二・初代専務取締役が自ら筆を執った銘版がビルの1階北西の角にあります。
日建設計の三浦計画主管(当時)によると、「レンガは通常あまり高温では焼成しないが、白煉瓦は吸水性が高いと汚れがしみ込みやすくなるので、かなりの高温で焼成しており、(スペースシャトルの外壁に張られているのと同様)セラミックに近い物性を備えたものになっている。少しずつ汚れながら、時代を経るにしたがって、味わいを深めたテクスチャーを持ってくれたら・・・」との思いを込めたそうです。
注:エフロとは、コンクリート中の水酸化カルシウムが浸入した雨水などに溶けて目地やクラックからにじみ出し、空気中の炭酸ガスと反応して炭酸カルシウムまたは珪酸カルシウムとなったもので、表面が白く変色したように見える。
白煉瓦「ボソン・ホワイト」
[その1:超軟弱地盤]
現在の浜松町辺りから竹橋辺りまでは、徳川家康が江戸に入城するまでは海で日比谷入江と呼ばれた深い入江でした。そのため、自然含水比が高く、自然の状態のままでも練り返せば直ちに液状になるという、東京でも有数の超軟弱地盤です。
このような超軟弱地盤対策として、当時あまり事例がなかった地中連続壁工法を採用しました。厚さ80cmの地中連続壁は建物周辺部の重量を支える杭体、建物外部から作用する水圧・土圧に対する耐力壁としての役目のほか、建物の地震時の水平外力を地盤に伝える働きも担うものです。
地中連続壁完了後に地下14mまでの掘削工事にとりかかりましたが、湿地用ブルドーザーでも走行が不可能であったため、掘削面積の40%近い広さに乗り入れ構台を設け、さらに油圧ショベルの埋没を防ぐため、水面に筏を浮かべるように油圧ショベルの下部に木製覆工板を数枚重ねて敷き込んで行いました。深礎杭は地下24mに及び、28本打ち込んでいます。
プレスセンタービルは、このようにして超軟弱地盤を克服した基礎の上に建っています。
既設ビルの地下解体
既設ビルの地下基礎松杭
連続壁掘削用ガイドウォール
連続壁掘削用ガイドウォール
エレメント掘削 (リバースにて)
乗入構台架設
乗入構台架設
乗入構台架設
連続壁頭部
第1段山留切梁架
既存深礎杭
深礎杭 掘削

深礎杭コンクリート打設
深礎杭底部" 拡大堀確認
耐圧スラブ配筋
耐圧スラブコンクリート打設
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