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建物を知る

その1:超軟弱地盤

掘削工事

掘削工事に際しては、掘削機が配備できるよう乗入れ構台が設けられた

現在の新橋辺りから丸の内辺りまでは、徳川家康が江戸に入城するまでは海で日比谷入江と呼ばれた深い入江でした。そのため、自然含水比が高く、自然の状態のままでも練り返せば直ちに液状になるという、東京でも有数の超軟弱地盤です。

このような超軟弱地盤対策として、当時あまり事例がなかった地中連続壁工法を採用しました。厚さ80cmの地中連続壁は建物周辺部の重量を支える杭体、建物外部から作用する水圧・土圧に対する耐力壁としての役目のほか、建物の地震時の水平外力を地盤に伝える働きも担うものです。

地中連続壁完了後に地下14mまでの掘削工事にとりかかりましたが、湿地用ブルドーザーでも走行が不可能であったため、掘削面積の40%近い広さに乗り入れ構台を設け、さらに油圧ショベルの埋没を防ぐため、水面に筏を浮かべるように油圧ショベルの下部に木製覆工板を数枚重ねて敷き込んで行いました。深礎杭は地下24mに及び、28本打ち込んでいます。

プレスセンタービルは、このようにして超軟弱地盤を克服した基礎の上に建っています。

その2:ボソン・ホワイト

「ボソン・ホワイト」と刻まれた石碑

「ボソン・ホワイト」と刻まれた石碑

「プレスセンターの外壁には白れんがを使用しています」と説明すると大抵の皆さんが「え! れんがですか ? 」と驚かれます。 計画段階から重厚さを出すためにビルの外装にはれんがを使用する予定でしたが、赤れんがでは暗いイメージになるので、色彩をどうするか検討されるなかで国代(くにしろ)耐火工業所の白れんがが選ばれました。

白れんがを使用するために、外装材として要求される性能、精度、風合いなどについて、おびただしい試行が日建設計と国代耐火の間で繰り返されました。サイズは普通のれんがよりひとまわり大きく、れんがを積み上げたように見えるように、PC板の目地が目立たないように設計されました。エフロ(*)の発生防止を考慮して、雨が入らないように瓦が重なり合うような形状設計で目地底も煉瓦の素肌を見せるようになっています。また、落下防止のためにれんがとPC板をステンレス線で固定しています。さらに、国代耐火はビルの外装に必要なほどの量を焼いたことがなく、このビルのために専門の工場を新たに作りました。新たな素材を開発するためには、いくつもの障害を乗り越える必要があり、それに携わった人達の協力、努力、情熱がなければ、達成できないことだと思います。

この白れんがの名称は、国代耐火の加藤国雄社長がれんが研究で欧州に行った時にシャモニーから眺めた氷河の色に感銘を受け、その氷河(ボソン氷河)の名前をとって「ボソン・ホワイト」と名付けたいとの希望を日本プレスセンターが受け入れたものです。前田雄二・初代専務取締役が筆を執った石碑がビルの1階北西の角にあります。

設計にあたった日建設計の三浦計画主管(当時)によると、「れんがは通常あまり高温では焼成しないが、白れんがは吸水性が高いと汚れがしみ込みやすくなるので、かなりの高温で焼成しており、(スペースシャトルの外壁に張られているのと同様)セラミックに近い物性を備えたものになっている。少しずつ汚れながら、時代を経るにしたがって、味わいを深めたテクスチャーを持ってくれたら・・・」との思いを込めたそうです。

  • *:エフロとは、コンクリート中の水酸化カルシウムが浸入した雨水などに溶けて目地やクラックからにじみ出し、空気中の炭酸ガスと反応して炭酸カルシウムまたは珪酸カルシウムとなったもので、表面が白く変色したように見えます。

その3:耐震性

プレスセンタービルは地下3階、地上11階・塔屋2階、高さ49.5 mの建物です。建物の構造は耐震に配慮して、中央コア部を鉄筋鉄骨コンクリート造り、コアを挟んだ両側は無柱空間を確保するために鉄骨造りとしています。最上階のプレスセンターホールとレストラン・アラスカの部分は、鉄骨アーチ構造で大空間を構成しています。

建物の基礎部分は周辺を連続地中壁、内部を深礎工法の大口径基礎として、強固な東京礫層に支えられています。このように地中深く基礎部分を根入れしている建物は、一般的には地震時入力が小さく安全性が高いとされています。

1976年竣工のプレスセンタービルは、1981年の新耐震設計法制定以前の建物ですが、耐震安全性等に対して(財)日本建築センターの高層評価を経て、建築大臣(現国土交通大臣)の特認を受けています。この特認を取得するために、時刻歴応答解析(通称:動的設計法)を行って耐震安全性を検証しています。

さらに、2011年の「東日本大震災」で強い揺れに襲われたことから、日本プレスセンターでは日建設計に依頼し耐震性を調査した結果、プレスセンタービルは上記の建築基準法新耐震基準施行前の建物であるにもかかわらず、同基準に照らしても十分な耐震性を備えているとの評価が得られました。当ビルの耐震設計目標は400ガルです。1923年の「関東大震災」(M7.9)の東京の地表加速度は300~350ガルと推定されていますので、関東大震災クラスの地震に襲われても建物は倒壊することなく、人命を守るとされています。

また、日本記者クラブ主催の記者会見で内外の要人や報道関係者が来訪する10階のプレスセンターホールについても、ドーム型高天井の脱落を防止するため、鉄骨アーチ構造の天井下にガラス繊維布で作られた膜天井を設置しました。こうした方式・工法で丸型天井の落下防止策を講じたことは、建設業界でも初の試みとして注目を集めています。

その4:プレスセンタービルのマーク

館内の随所で使われている日輪マーク

館内の随所で使われている日輪マーク

「海外では必ずと言っていいほどビルのマークがあります。プレスセンターも作りましょう」と日建設計からの提案で生まれた日本プレスセンタービルのマーク。館内のあちこちに使われていますから、当ビルにお立ち寄りの際には、ぜひ探してみてください。

「日輪」マークとして商標登録しているこのマークは、日本をあらわす日輪を吉数七五三の輪に意匠化したもので、直径90mmの円の中に外から7、5、3mmの幅で円をかいたものです。7・5・3はご想像どおり「七五三」から取っています。デザインされた日建設計の三浦さんによると「子供が無事に成長したことを感謝し将来の幸福と健康をお祈りする七五三と、プレスセンタービルが無事故で竣工し、プレスセンターとテナントが共に繁栄できるようにとの思いを重ねた」そうです。